岐阜和傘協会について

 

岐阜では主に加納地区を中心に江戸時代より和傘づくりが営まれていました。 古くは武士の内職としての位置づけでしたが、明治時代以降産業として隆興し、大正から昭和初期にかけてピークを迎え月間数百万本もの和傘が岐阜で作らたと言われています。 加納地区では至るところで和傘がつくられ、油引きされた雨傘を天日干しする風景が至ることろで広がっておりました。

 

戦後まもなくして、洋傘が日本に広がるにつれて和傘生産は下降線をたどり、昭和30年代以降は急速に減少してゆきました。 業者の洋傘転向や廃業が相次ぎ、昭和の終わりには製造元は10軒余りにまで減少してしまいました。 このままでは和傘が作れなくなってしまうとこの時期に岐阜市和傘振興会が結成されました。

 

販売促進策やバブル景気の恩恵もあり、全盛期を支えた職人もある程度残っていたため、しばらく和傘生産・販売の減少は止まっておりましたが、バブル崩壊と職人の高齢化・引退が進み平成に入ると再び和傘生産は縮小してゆきました。 

 

この間和傘振興会は一般市民対象に岐阜市歴史博物館にて和傘づくり講座を毎年開催するとともに、縮小したとはいえ国内最大の産地として姉妹県である鹿児島県での「曽我どんの傘焼き祭り」に毎年和傘を提供するなど地道な活動を続けておりましたが、会員の廃業は続き平成30年には個人事業を含めて傘屋は5-6軒にまで減少してしまいました。

 

特に和傘づくりの基盤を支える傘ロクロ、竹骨、仕上げ職人の減少、高齢化が著しくまさに岐阜和傘存続の危機と言える状況でした。 これら和傘づくりの根幹といえる工程の職人を育成し、意欲ある人々が今後も和傘を作ってゆける基盤を作るため、岐阜和傘振興会は令和2年発展解消し、一般社団法人 岐阜和傘協会に生まれ変わりました。

 

これに先立ち、岐阜和傘協会設立準備局では、ロクロ職人と竹骨職人それぞれ1名を全国から公募するとともに、平行して クラウドファンディング Readyfor SDGs にて育成資金を募集し、1月13日の設立直後より後継者育成にを開始しております。

 

2人の育成は3年計画でまだ始まったばかりです。 また傘骨製作機械の老朽化も著しく、後継職人が一人前となる時点では更新/新設が必要となる見込みです。 更なる後継者育成を念頭に安定的な資金手当てに取り組むとともに、それを実現するためにも岐阜和傘の伝統工芸品指定や文化庁による職人技の選定保存技術認定なども視野に入れて取り組んでゆく所存です。

 

一般社団法人 代表理事 平野 明宏

         理事 藤澤 暁夫

         理事 長屋 一男

         理事 田中 美紀

         監事 河合 幹子